野外レイヴの夜明け〜1995年 それまでにも野外レイヴは、トランス系を中心に数多く行われていたと思うんですよね。しかし、そのほとんどがアンダーグラウンドな存在だったのも確かで、その情報を手に入れるだけでも一苦労な時代だったと思うんですよ、今ほどインターネットが普及していた状況でもなかったし。。。そんな中、一つの情報がテクノ専門誌「ele-king」によって日本に紹介されたんですよね。それこそ、ドイツのベルリンで行われる世界最大のテクノ祭“ラブ・パレード”だったわけです。 誰もが思ったはずです、、、「ラブ・パレードに行ってみたい、、、」、「日本でも、昼間から自由にダンス音楽を聴いて、そして自由に踊りたい、、、」 そして、この年の夏、それは現実になったのです!!! 1995年、8月6日に富士急ハイランドで行われた野外レイヴ“ナチュラル・ハイ!” 正しく、「日本にもラブ・パレードを」と言わんばかりで大々的に告知され、ケン・イシイを始めとする日本国内の蒼々たるメンバーが集合し、太陽の元で誰もが、、、そう、年令制限なども無い自由なテクノ祭であった。時間も朝から夕方までとし、本当に誰でも気軽に参加できる野外レイヴとなった。 「こんな山奥でやって、本当に客が集まるのだろうか?」と、主催者側はヒヤヒヤしていたそうですが、結果は大成功となり、正しく今後の日本に於ける巨大野外レイヴへの夜明けとなったのです。 この時、うにょは参加する勇気が無かったのです。まだ、クラブに一度も行った事が無かったし、、、正直言って凄い悔しかったですね、本当は凄く凄く行きかったのに。。。後で、凄い後悔しましたよ。 |
伝説のRAINBOW〜1996年 今年、もし野外レイヴ、、、そう“ナチュラル・ハイ!”が今年もあるなら、絶対に参加するぞ、、、と心に決め、そして時間が過ぎ梅雨に入りかけた6月に衝撃的な情報が駆け抜けた。 8月に富士山で野外レイヴが、オールナイトであるらしい、、、その名も。。。 RAINBOW2000 、、、何?“ナチュラル・ハイ!”とは違うのか? RAINBOW2000の情報が、明らかになっていく。そして、みんな驚いたに違いない。。。アンダーワールド、C.J.ボーランド、ケン・イシイ、石野卓球、オーディオ・アクティブ、T.T.T、DJ FORCE、Tomo、Yo-C、、、etc.....参加するアーティストの誰もが、日本国内はもとより、世界的にも有名な面子ばかりなのである。うにょの心は決まった、「RAINBOWだ、富士山に行くぞっ!!!」 そして、いよいよ8月がやって来た。後に「伝説の、、、」として語られる事になる、日本の野外レイヴ史上に残る、、、18,000人が参加した、、、あの1996 RAINBOW2000 in Mt. FUJIが、いよいよ始まるっ!!! 1996年8月10日、日本らんどHOWゆうえんち 本当に山奥である。最寄りの新幹線の駅を下りたら、さぁ、凄い事になってる。会場となる日本らんどHOWゆうえんちまでの直行バスに乗る人の行列が、蛇のように連なっている。既にラジカセで、トランス風の曲をガンガンに流している人もいる。バスで1時間少しして、会場に到着。至る所で、テクノな音楽を流して寛いでいる人が沢山いるし、会場に入る直前には舞台袖で寛ぐ石野卓球が手を振っている。実にイイ感じ。。。しかし、凄く寒い。。。天気は良いし、夏なのに、、、半袖のTシャツ1枚では、かなり肌寒い。このまま夜に突入すると、どうなるのだろう。。。そう、多くの人が、この後に富士山の恐ろしさを身をもって体験する事になるのだ(笑) 会場は日本らんどHOWゆうえんちを貸し切って、大きく3箇所に分けたステージが設営されていた。とりあえずメインともいえるレインボー・グラウンドに行く。広いなだらかなピクニック・スペースという場所で、地面は芝生で覆われていた。既に沢山の人が集まっている。夕刻、地面を揺るがす重低音と共にDJ FORCEによるドラムンDJから、RAINBOW2000がいよいよスタートした。 DJ FORCEがロッキーのテーマをループさせながら、次にDJブースに現われたのは石野卓球。Strings Of LifeやNijiなど、サービス満点の選曲であった。休む間もなく、ステージではオーディオ・アクティブのLIVEが始まった。シンセ、ミキサー、ギターが2本という構成で、激しいビートにノイズがかぶり、エキサイティングなLIVEで、会場をスパークさせる。 日本初来日という、C.J.ボーランドの3時間DJプレイは全編TB-303系ウニョウニョ・アシッド&トランス攻撃で、うにょは撃墜される。。。ケン・イシイはナントLIVEで登場。VJによる、あのテクノ・アニメ・ムービーが流れる中、“EXTRA”で大盛り上がりだ。そしてそして大御所、アンダーワールドだ。rezはもちろんの事、pearI's girl、、、そしてアンコールにはこれ無くしては語れない名曲、born slippyが飛び出して会場は最高潮へ。。。18,000人が、この同じ空間でアンダーワールドを体験しているのである、もう言葉や文字で表現する事が不可能な盛り上がりである。。。 出店に並んで、焼そばなんぞ食べながらRAINBOWステージを離れると、ターンテーブルが置いてあるフリーマーケットでは誰でもDJできるようで、そこでも盛り上がっていた。アンビエント系のステージでは、地面にみんなが寝っ転がってDJの音に耳を傾けている様子で、不思議な空間であった。ここでは、細野晴臣氏がDJで参加しているそうである。 そして、LOUD系というかTomoさんらが参加しているステージに行こうとしたが、真っ暗闇の中、マグ・ライトだけでの移動ではどうも場所が判らず、諦めてRAINBOWステージに戻ると、日本サイケデリック・テクノ集団、Tokyo Tekno Tribeのメンバーによる3時間LIVEが鬼のように進行していた。 夜中、気温はグングンと下がっていく。到底Tシャツ1枚では、ブルブルと震えながら休憩は出来ても、寝る事はほぼ不可能。あまりの寒さに、そこらに落ちているビニール袋を体に巻着けて、寒さから耐え忍んでいる人もいるぐらい。富士山、、、いくら二合目とはいえナメテいると、とんでもない事になる。真夏の8月なのに、吐く息が白い。幸い、うにょは長袖のセーターとシュラフ(寝袋)を持参していたので、なんとかなったが。夜空、満天の星空を眺めながらシュラフに潜り込み、テクノに耳を傾ける。なんと贅沢な瞬間だろうか。 ふと目が覚めると、白々と夜が明けようとしていた。DJ MIKUが硬派なブレイクビーツ・テクノで、寝ている連中を一人一人起こしているかのようだ。ほとんどの人が寝ているので、すんなりとDJブースの真ん前まで行く事が出来たので、そこで踊る。 そして、いよいよラストのDJ、、、このお祭りを締めくくるには本当にふさわしいDJであろう、「真打ち・お祭り男」Yo-Cの登場だ。針がレコードに乗った瞬間、出す音でも間違えたかのように音を止めてしまうYo-C、あれ? と思った瞬間、4つ打ちビートが会場を包み込む。 他のステージは既に終了しているので、このRAINBOWステージの最後のYo-Cが本当に、RAINBOW2000最後を締めくくるDJだ、どんどん人が集まってくる。最前列にいたので、後ろを振り返ると、なだらかな登りになっているので遠くまで見る事が出来るのだが、もう、人、人、人。Yo-Cのハッピーなテクノに、18,000人が狂喜乱舞している。凄い光景だ、最高である。 客からも、そして他のDJからも水鉄砲攻撃されるYo-Cは、頭からずぶ濡れになりながらも、ウォーっと拳を上げてガンガン盛り上げて行く。太陽が登り、すでに朝9時になろうとしていた。大拍手と共にアンコールが始まり、日本のテクノ史に残る野外レイヴは幕を閉じたわけです。 また、RAINBOW2000は開催当初から“自然”をテーマに掲げていて、会場でのゴミの分別回収などにも力を入れていた。この時の模様は民放の夕方のニュースでも流れ、NHKでは音楽番組の中で大きく紹介されたのも、記憶に残るところです。 なんにしても、このRAINBOW2000を体験して何もかもがショックの連続でした。正にカルチャー・ショックとはこの事か、、、という感じでした。家に帰って来てからも、なかなか興奮が醒めませんでしたね(^_^;; |