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RAINBOW2000 FUJI & HAKUSAN 1997

受難の富士山〜1997年

97年に入ってなんといっても話題になったのが、大型野外音楽フェスティバル“FUJI ROCK FESTIVAL”だったでしょう。

1997年7月26日と27日の二日間、富士天神山スキー場で行われた大規模な野外音楽フェスティバルだ。ゲストにも、テクノ系ではプロデジィーやエイフェックス・ツインらなどが参加し、かなり話題となっていた。オールナイトではないものの、ノージャンルであらゆる音楽アーティストが招待され、今年一番の野外イベントとして注目されていた。

しかし、、、今年の富士山での野外音楽祭は受難の年となった。。。

まず、その犠牲になったのが“FUJI ROCK FESTIVAL”だった。僕の記憶が正しければ、当日は台風が接近していたように思う。天候は優れないものの、とくに問題なくFUJI ROCKはイベントをスタートさせた。予想を上回る客の集まりで、誰もがFUJI ROCK FESTIVALの大成功を予感していた事だったと思う。が、、、時間が経つにつれ雨が降り出し、風は強まり、、、野宿を覚悟していた多くの客が、雨に濡れ寒さに凍えながら、ただ立ち尽くす状態が会場に広がっていく。

日付けが変わった、翌27日早朝。FUJI ROCK FESTIVALは、一つの決断に迫られていた。天候は更に悪化していた。これ以上のイベント遂行は危険すぎる、、、午前6時10分、中止を決定する事になる。
FUJI ROCK自体は決して失敗ではなかったと思う、それどころか勇気ある決断をしたと思う。98年以降、FUJI ROCKは富士山から離れてより大きな野外音楽祭として発展していった、この事実が何よりも意味のある事だと思う。

この富士山での受難は、RAINBOW2000にも降り掛かってくるのである。
↑RAINBOW2000 1997 Top Page

RAINBOW、日本海へ

96年の大成功をうけてか、今年のRAINBOW2000は2ケ所開催となった。

まず、8月2〜3日で行われる事になったのが、富士山とは正反対の日本海側。石川県の白山、瀬女高原スキー場での開催である。流石に集客を見込む事のできる関東方面からの客は、かなり少なくなったようでこじんまりとしたRAINBOWとなった。

スキー場のゲレンデにステージが設営されていて、ゴンドラに乗って山の頂上に行くと景色が最高だ。ここにもDJブースが設営されていた。ケン・イシイや田中フミヤ、WADAに地元からはNAGAI ERI、そして当時は日本国内で無名に近かったブンブン・サテライツやタツヤ・オオエ、そしてそしてアンビエント・テクノ界のドン、the orbのアレックス・パターソンらなどか出演。

金沢駅から直通バスで1時間ほどで瀬女高原スキー場に到着。出店の中には、地元の人達による店があったり、家族連れで来ている人もいたりと去年の富士山でのRAINBOWとは、少し雰囲気が変わっていて面白かった。地元の小さいCD屋さんにもRAINBOW告知のポスターが張られていたとかで、地域を上げての大イベントとしてRAINBOWを迎え入れたのでしょうね。

トップバッターが、いきなりブンブン・サテライツのLIVEであった。めっちゃカッコよかった、97年当時であのサウンドは、度胆を抜かれる感じがした。NAGAI ERIのDJ&LIVEでは、やはりエヴァンゲリオン・ネタを披露し、会場をグリングリンにしていた。しかし、、、NAGAI ERI嬢は凄いクールなLIVEしていたなぁ、、、最近は名義を変えて活動しているそうですが。。。
キャプテンになる前のタツヤ・オオエ(笑)は、宇宙戦艦ヤマト攻撃で会場をひっくり返してしまうし、、、WADA→ケン・イシイ→田中フミヤという鬼のテクノ・リレーDJで、うにょはもうノック・ダウン状態でした。

夜は、富士山ほどでもないかな、、、と思っていたら、やはりアマかった。かなり冷え込みましたね。もちろんシュラフとか持参していたので、問題は無かったですけど。こちらも、満天の星空が綺麗で最高でした。

そして朝方、アレックス・パターソンのDJがスタート。とてもお茶目なアレックスおじさんって感じで、クールでグルービィな選曲。最後には、「おやすみ」って格好をしてステージで降りていった。最後まで変なオヤジであった(笑)

RAINBOW2000白山のラストは、天空オーケストラによるLIVEで締めくくられた。

こじんまりとはしながらも、アットホーム的なRAINBOWとなって僕は凄く良かったと思いました。
↑RAINBOW2000 1997 Top Page

RAINBOW、再び富士山へ

そしていよいよ富士山に帰って来たレインボー。

8月9〜10日と去年と同じ日本らんどHOWゆうえんちにてRAINBOW2000が開催された。

新幹線から降り立つと、何やら雲行きが怪しい。会場まで行く直通バスの切符売り場では、係員が会場では雨が降っているらしいと話す、、、うーむ、どうなんだろう、、、でも、まぁ、雲行きもこの程度だしたぶん大丈夫だろう、、、と思っていた。だが、やはり富士山の天候は、そんな容易く判断できるものでもなかった。

バスに乗り、ウトウトしていたがハッと目を覚まし窓の景色を観て絶句した、、、真っ白なのである。首を伸ばしてバスの前方を観ると、視界5メートル有るか無いかという状態だ、とんでもない霧の中をバスが走っている。雨もパラついて来ている。

こんな状態でRAINBOW2000が行われるのだろうか、とても不安になって来た。

会場に着いてバスから降りると、とんでもなく寒い。おいおい、8月前半だっていうのに、、、もう笑うしかない。開けた場所なので少しは霧が晴れているが、それでも遠くを観ると山一つ見えない真っ白い世界となっている。とりあえず会場に入り、今年はLoudプロデュースのコズミック・グラウンドへ向かう。白山ではDJをしたアレックス・パターソンだが、富士山ではthe orbとしてLIVEをするらしい。またトランスではTSUYOSHIも参戦、303マスターことハードフロアもLIVEで来日と、やはり凄い面子が富士山に集結していた。

DJブースには、雨避けのために半透明のシートがかけてあり、中で回すDJの顔を伺い知る事が出来ない。このコズミック・グラウンドは完全な遊園地の中で、後ろにはメリーゴーランドがありレストランもある。そのレストランで寛いでいると、スピーカーから音がもれ始めた。いよいよ始まったな、さぁ、もう始まったんだから雨が降ろうが関係ない、おもいっきり楽しむぞー

トップバッターのDJが誰だったか忘れましたが、、、MAYURI嬢やNao Nakamura、Nakahara、Yoji Biomehanika、Shinkawaなどと怒濤のDJ陣で、うにょはカッパを着ているけど、もう汗か雨か判らない状態でズブ濡れになって踊る。

そして、僕自身一番楽しみにしていたハードフロアのLIVE。シートのおかげで、二人の姿は全く判らないですが、、、もーCD以上の音圧で4つ打ちキックに荒れたハットの音、そして伝家の宝刀303アシッド音、、、会場が波打つぐらいに揺れ動く。ACPERIENCEや攻殻機動隊まで飛び出して来て、メリーゴーランドまで動き出して会場の熱気は最高潮へ。この同じ時間帯ぐらいの前後で、the orbのLIVEがレインボー・グラウンドでやっていたらしかった、、、うーん、こちらも体験してみたかったなぁ。

ハードフロアから受け継いだのは、Tomoであった。一発目から飛ばすそのDJっぷりは、ハードフロアの盛り上がりをも呑み込むぐらいの迫力で、最高にカッコよかった。

夜も深まり、少し休憩がてらレストランに入ると、、、流石にこの悪天候でダウンしている人が山なりになっている。とても休憩できるスペースが無い、しかたがないので外の屋根の付いている渡り廊下のような道に行くが、ここも人がいっぱい。なんとか、落ち着けるスペースを見付ける事が出来たが、、、全く凄い光景となっている。。。
ただでさえ、夏の富士山の夜はグンッと気温が下がるのに、今年始めてレインボーに来たのか、それとも富士山をナメて来たのか、、、Tシャツ1枚で着替えも用意していないような人が、沢山いてズブ濡れになってブルブル震えながら小さくなっている。。。そんな光景が広がっていた。天候は最悪だ、何処も彼処も避難所状態となっている。とりあえず地面も濡れているが、そんな事はお構い無しにシュラフに潜り込んで横になって、一休み。

白々と夜が明けて来た、、、そろそろコズミック・グラウンド最後のDJ、Yo-Cの出番だと思いシュラフから抜け出す。DJがYo-Cに変わり、雨も止んで来た。するとどうだろう、スタッフがDJブースの雨避けシートを外し始めたではないか、中ではガーッと拳を突き上げるYo-Cが居るではないか、これに会場が一気に盛り上がる。やはり、お祭り男・Yo-Cだ。さぁ、ラストだ、ラストだ。DJブース中に客が入り、もう何がなんだか状態で盛り上がる。Yo-Cも別のDJに一時任して、自ら前に出て来て踊りまくるし、何処からともなく現れたTOBYは、なぜかトランクス1枚で踊りまくるし。。。(笑)

とにかく大騒ぎの大盛り上がりで、コズミック・グラウンドが終了となった。

まだ、レインボー・グラウンドではTSUYOSHIのDJが最後に続いているはずだが、流石に疲れ果てたので、そのまま帰路に付く事となった。

FUJI ROCKは悪天候のため2日目が中止となったが、レインボーは幸いにも中止とならず最後までイベントが進行した。しかし、かなりの問題を残す結果ともなった。最大の問題、それは其所に集った人達のマナーです。
富士山という、普段の都会暮らしに慣れている僕達には、とても厳しい自然環境の中で最悪の天候で、こうなれば自己中心的になるのも無理はないが、それにしても一部の人のマナーとモラルの無い状況が目についた。

雨宿りするのは、まだ100歩譲って目をツブル事が出来たとしても、平気にお土産や店の中に入って、寝袋などを広げている人達と店の人の間で喧嘩などをしている。。。駐車違反をしていた人もかなり居たようだし、ゴミの後始末についても問題だ。
FUJI ROCKもそうだが、レインボーも、、、他の野外イベントも、どんなに準備をしても最終的に地元の人達の理解が得られないのであれば、それまでである。こんな事が積み重なっていくと、どんどん野外イベントが出来る環境そのものが無くなっていく。

これらが原因がどうか定かではないけど、98年以降FUJI ROCKもRAINBOWも富士山での開催が出来なくなるのだ。。。
↑RAINBOW2000 1997 Top Page

そして、、、〜1998年へ

そして、1998年が来た。

FUJI ROCKは場所を東京に移して開催が決定した。

RAINBOW2000は、今年も白山と富士山の2ケ所開催の予定だった。しかし、結果として富士山での開催は中止となってしまった。去年の事が、やはり問題になったのだろうか。。。オフィシャルな発表では、そこら辺の事については言葉を少し濁していたように思うけども、やはりマナーは大切だし、レインボーは自然と一体になってダンス音楽を楽しむイベントなわけだから。

白山のみの開催決定となると、とくに一番集客を見込める東京方面からブーイングが出るようになった。おまけに東京で人気のあるDJが、それほど出演しない事となって、、、「今年のレインボーはつまらないよ」という噂が流れたり、挙げ句に「なぜ東京でしないのか」とまで言われるようになった。

もちろん、レインボー側も痛い。確かに白山で開催するとなると、集客が激減する可能性がある。でも、僕は思うのだけど、、、ただ集客と金目当てでレインボーっていうイベントをやっているわけではないと思う。
例えば、フリーマーケットやゴミの分別回収など、全てボランティアの人が集ってやっている事なのである。無名のDJにもチャンスを、という事で募集もしている。そして何より、雄大な自然の中で自然を楽しみながら、テクノを体験するという最大の目的がある。
だから、レインボーは開催当初からゴミの後始末については、凄くアピールしていたように思う。

、、、、、で、1998年以降のレインボーはどうだったのか? それは1998、1999年のリポートを読んで頂くと判ることでしょう。
↑RAINBOW2000 1997 Top Page


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